私は宣戦はしない。私は戦争を作るのだ。
(フランクリン・ルーズベルト)
日本人のような劣った人種は、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを派遣しておけば、十分抑止できる。
(ウィンストン・チャーチル)
仏教用語に「方便」という言葉がある。
「本当のこと」と呼べるもの、「受け入れるに値するもの」に一足飛びに到達することは難しい。
そのために導入される便宜的な方法がある。
理解の高みに至る道とは、ところどころに通り抜けるのに難儀する洞窟やら中ボスの生息する場所を攻略するRPGのようなもので、少しづつ進んでいってうまくセーブする必要がある。
また、段階を踏むプロセスと時間が、理解の熟成をも促すだろう。
単なる事実を得るだけでも、そのような過程をたどることが必要かもしれない。
暫定の知識を適切にセーブしておく。
だからこれに拘泥してはいけない。踏み台にして、より妥当なものに更新していく。
近・現代史のような、イデオロギーにも関わる事実のソースは、一筋縄ではいかないところがある。
自分で調べるにもコストがかかる。(そう思うことこそ、プアな立場にいる証左だけれど。)
かといって、何も知らないのも心許ない。
先入観をなるべく持たず、あくまでも過程としての理解でひとまず十分ではないかと思うのだ。
(そして、理解の枠組みそのものを考えることも重要だろう。)
決して仮の知識を自らの実存にしないことだ。
それにしても近・現代史はおもしろい。
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