父の指

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帰省から戻るとき、母が鞄の中に忍ばせてくれたカーディガンを、今年の冬は出動させている。

そのデザインは紺の細かいストライプが入ったもので、着るたびに父親が良く来ていたものと似ているなと思い起こす。

同時に思い起こされる光景は、父の指の動きだ。

父の趣味は観察するかぎり、釣りと水耕栽培だ。

母親が「いつもゴソゴソしている」と評するその趣味は晴雨どちらも対応できる。

水耕栽培の実験場はベランダなのだが、居間のテレビの横に手作りの引き出しがあり、そこにホームセンターやヒャッキンで調達してきた幾多のアイテムが非常に整頓されて入っている。

それを思い出したように取り出しては時には組み立て、ベランダに持っていき実装したりするのだ。

そのときの自由気ままな指の動きが、仕草が目に留まる。

マテリアルの感触を確かめるような手つき。
どう組み立てるか、うまくいくかを想像しながらゆっくり考える様子。
その行為自体を俯瞰で眺めながら楽しんでいるような風情。

いわく表現しがたいのだが、それを見ていると不思議な感覚になるのだ。

不思議な余裕の間合いと楽しさを持ったほほえましい営みとでも言おうか。

ベランダではなかなか大掛かりなおもしろ装置が着実に作られていく。

・・・

この行為はいったい何なのかという感慨におそわれる。

身近な人のこの手指の動きがこの家庭をつくり、私という子供をつくり、まだ知らない無数の喜びと辛苦を紡いできたのだろう。

そんなことを想像したりする。

釣りは一番長くやっているし、庭での小さな畑作りなども一時期やっていたな。

とにかく急がずにマイペースに。

・・・

父との会話は多くはない。

まれに釣りにくっついて行ったり、水耕栽培のゴソゴソを傍で眺めていたときも特に質問などもしない。身近ではあるが、馴れ馴れしくもない距離感だ。

だが見ているだけでも何かを感じ、何がしかの影響を受けたのかもしれない。

父の趣味、それをする雰囲気に。

彼の指の動きに比する、自分にとっての営みとは何だろうか。

父の指が動く。
僕の知らない、僕の親としてではない、父の指の動きがある。
僕の知らない、父固有の人生がある。
僕の生まれる何十年も前から、指が動いている。


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