朝、世界が開いていくまでの、ほそい道。 人をまだ見たことがない、とあるほそい道。 年に一度現れる、桜の道。
15分ほど歩いたところにある喫茶店のコーヒーを飲みに行こう。
そう思うのだが、腰を上げるまでには、こんなことすらあまりに遠すぎてイメージがし難い。
まず歯みがきをしなければいけない。
次に、妹に作ってもらった鞄に本と日記ノートをいそいそと詰めなければ。
一曲だけ音楽を聴いて気分も上げようか。
このくだりはもはや意味記憶に近い、まさに細い細い道だ。だけど必ず通らねばならない道。
休日の朝、起床してから出かけるまでの、意識が立ち上がり世界が組み立てられていく過程が、
第一の「僕の細道」である。
ちなみにドロップショットを打たれた刹那、一歩目と二歩目を踏み出すあたりの自分が割と好きだが、そんな気分 に似ているかもしれない。
ぼくのほそ道
目的地まで歩いていく道中、
- 本業のことを考える
- アファメーションをする
- ブログ記事を構想する
どれをするか一瞬迷ったが、精密鼻歌になった。よくあることだ。
さてそして第二の「僕の細道」に差し掛かる。
それは住宅街の、50mほどのまっすぐな道なのだが、百回近くも通っているのにそこではまだ誰ともすれ違わないのだ。
その道に面して玄関ドアはざっと15個ほどはあり、少なくとも50人は住んでいるだろう。なので1日に延べ1〜2時間は人がいるはずなのにである。
不思議だ。これが第二の「僕の細道」と名付ける所以なのだ。
人は確かに住んでいる。白墨で道にびっしりと絵や文字や図形が描かれている。子供が遊んだ頭の中が広がっている。
人口密度の高い日本。さらにその40倍も人がギュウギュウに詰まっている23区内でも、このような静寂が至る所に出現するのは不思議だ。
都会でも、人は充分に孤独なのかもしれない。
ちなみに今日は、鳩が8羽入り口にいた。まるで門番のようだ。でもギリギリセーフの位置だったので、鳩も含めた無人記録は更新された。
ぼくの帰り道
さてコーヒー店にたどり着く。
チェーン店でありながら、ここのジャーマンコーヒーには飲み口になんというか、輪郭があるのだ。
だが本稿は「細道」が舞台なので、通ぶるのはやめてとっとと帰り道にしよう。
往路でなるべく人のいない、歩きやすい道を選んだので、復路も同じになりそうなものだが、そうはならない。そのことにもまた何かの示唆を読み取ろうとする自分に苦笑する。
そんなことより、今の時期だけは桜並木に寄り道だ。
ハナミズキ、ゴメンね。来週あたりにまた来るからもうちょっと待っててくれ。
「おくのほそ道」ならば、ここで一句が置かれて見事に締まる。
いわしんの口語自由詩でめでたくおさまるかどうか。
ぼくの寄り道
めぐる 風が吹けば 心は回る 止まれば 眼前の審らかな佇まいに沈む この桜のように 遠くから巡るように現れる 想いの一塊が いったいいくつあるだろうか 源泉のすがしさを存分に湛えたまま 花の一輪がいちいち美しい その視線の如く細やかに 一塊の中の花は在るか
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