そこは新天地に広がる、やけに陽の光が眩しい草原だった。
草原といってものどかなのは風景だけで、人の背丈ほどの草木が密集しているそこかしこに、強そうなヤツ、獰猛なヤツ、いやらしくうるさいヤツらが割拠している。
そこでパーティを組んでプレイをしていた頃。
目当てのモンスターそこそこ手ごわいがそれよりも厄介なノックバック技を繰り出してくる。
位置取りを工夫しなければ、吹き飛ばされたときに敵がリンクし、容易に全滅する相手だ。
しばらくしてモードがちぐはぐになり、ぎりぎりの戦力で戦っていたパーティの仲間の何人かがやられてしまった。
衰弱からの回復待ち休憩をしていた時、ひとりの仲間が自分に話しかけてきた。
「MPの使い方がとても上手いですね」
その日の味方パーティのジョブ編成はやや回復機能が弱く、黒魔道士の自分はケアルⅡを時々使わざるをえなかった。少しの補助魔法と強化魔法。敵の特殊技が来る直前にとどめの精霊攻撃魔法。自分のヒーリングも必須で忙しい。いつにもましてかつかつのMP使いだったのだ。
それをちゃんと見ていてくれた人がいた。
自分が意図し、心を砕いていることを、他者が見ていてくれていたことのうれしさ。
自分のつたないプレイヤースキルの範疇であってもそれを承認してくれたことのうれしさ。
他者からの信号に気付くときには、必ずその他者の心の動きが存在する、という気付き。
ゲームですらこんなにもおもしろいのだ。
それならば現実はもっとおもしろいに決まっている(これ自然な帰結ですよねえ)。
ましてやキャラクターやあらゆるパラメータやルール、クエストやミッションの設定やゲーム難度など、現実ではすべて自由に自分で決められるではないか。
最も精巧で濃密で自由な現実というゲームが、おもしろくないわけががない。
この話を久しぶりに会った友人にしたところ、まさに肝心の結論の部分でそいつはなんと居眠りをしていやがった。
脳天にサンダーⅣでも御見舞いしてやろうか。
・・・ううむ、永田泰大風の文章には、なかなかならないな。
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