自分というコクーンの楽園の中で(自律2)

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自分と外界との関係を考える、エントリ「自律」の続編。

評価なんか吹っ飛ばせ!

前のエントリでは、外界(主に他者)からの働きかけについての心の準備の仕方を想定した。

攻撃だけではなくて、評価されないことも同様。

自分の意識の進行を乱す、あらゆる外界の声も、無音もw、気にしないことだ。

評価?それおいしいの?

こんなことを軽くおさえておくと良い。

レイモンド・チャンドラーは、44歳で勤め先をクビになった。

そのあとに数々の名作を世に出すことになる。

野村克也は、たった1年で球団をクビになるところだった。

「クビにするなら川に飛び込んでやる」とゴネたそうだ。
その後、歴代2番目の数の本塁打をかっとばし、歴代2番目の数の安打を量産した。

アルバート・アインシュタインは大学受験に落ち、その後物理実験も最低評価の1を取った。

後に人類最高の頭脳のひとりに数えられることになる。

ことほどさように、外からの評価はアテにならぬ。そればかりか、一番大事な、本人の動機、やる気、推進力を削ぐことになる。

価値と評価は、少なくともひとりの人間のライフタイムの長さくらいではなかなか非効率なのだ。短期的には整合しない。

それに評価は人格を持たず、この犯罪級の仕打ちの責任も取らない。

あとから振り返ってみれば、外の声にスポイルされてしまったすべての責は、どこまでも自分のみにあったと分かるのだ。

まとめ

攻撃や圧力にしろ、無評価にしろ、外界からの干渉に対して、自分を断固プロテクトする。

その構えは自分自身で構築せざるをえない。

いや、そんな後ろ向きのイメージだけではない。コクーンの中で幼虫が育つように、自分の大事な意図と熱量を閉ざされた自分という楽園のなかで、じっくりと育てるのだ。

そのさなか、外の評価など気にしないで、猫まっしぐらに進もう。

ワカチコ!

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