大人と子供の違いゲーム

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表題のとおりである。

これを思いついて遊ぶゲームだ。

よくありません?
明確に区分けされるようなことでもないだろうけれども、何か気付き的におもしろみがあるような違いを思いつくことって、ありません?

「そのような違いなど、ない!」
という向きもあろうが、そんなタイプの典型が、

俺だ俺だ俺だぁ!

・・・どっちやねん。

あなたの考える、大人と子供の違いって、なぁに。

他人を変えることは容易ではないと分かれば、大人。

例えば、過去記事(人間関係)に書いたこれ。

人はひとりひとりに分離しているもの、限りなく孤独なものだというのは一面の真実だけれど、「命とは群れるもの」というのもまたうなずける話だろう。

自意識がどこまでも肥大化していくというのは、現代社会の病のひとつだろうが、ガイア仮説のようにまた意識が子供帰りしていくかのような考え方も、対比として置かれがちではある。


「群れるーひとりで進む」系のせめぎ合いは、ヒトが現実に存在しているかぎり、存在し続けるだろう。

「生きるのに、こんな楽な考えでいて良いのだ」と思えば大人。

これも過去記事(子供)に書いたやつ。

子供の頃ってさ、世界がどうなっているかがよくわからないから、「今こうして生きていっていいの?」といつも不安じゃなかった?

そこからこういう考えに変化するのは素敵な錯覚だろうけれども、切実な生きる知恵かも知れない。

親を見て涙したら、大人。

最初は「親もちいさなひとりの人間なんだ」と実感したとき。

2回目は、親の半生を初めてありありと想像して、その偉大さと心細さを実感したとき。

・・何段階かこういうことで涙していって、人生が過ぎていくよね。

ポテチを2回以上に分けて食べると大人。

我慢できるようになったのか、飽きっぽくなったのか・・。

どこかで読んだが、近頃ポテチの分量がなにげに少なくなって悲しいらしい。
でもホントにおいしいのは最初の5枚だけらしいよ。

ちなみに、100均などにある、袋をパッキンできるクリップって秀逸だよね。

子供だから許されると心得ている

これを理解していて、なおかつ逸脱するのをやめない。

これは子供だった過去の自分に観察された事実だ。そう、確かにそうだったw。

これが大人になるとどうなるか。

「人に迷惑をかけなければ、何をしても良い」という心得(違い)になるのだ。

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