ジェンダー

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「あなたは自然に女性なのか、それとも女を演じているのか、どちら?」と知人に聞いてみた。

男は男らしさという仮面をかぶり、女は女らしさという仮面をかぶっている。
あるいはかぶらざるをえない。
ジェンダーというやつだ。

仮面のレベルも、意識のあるうちはほとんど無自覚にかぶっているものから、男女の接触の最終局面で否応なくかぶらざるをえないものまで、様々だ。

さて、問題とは何か。

演じられた異性、というものを味わいたいという自分の中の嗜好を認めざるをえない。
それは、検討されずに放置されたままの自分の美意識の遅れかもしれない。

ここからは、あまりよく考えていないから、これ以上はうまく語れない。
だが、さしあたって次のことが思い浮かぶ。


(あたりさわりのないことを書いても面白くないので、ジェンダーの持つ負の側面についてはあえて書かない。
以下の点については、いつ何時、誰の挑戦も受けません(爆)。)


  • 特に人の感情の働きについて、セックス(性別)とジェンダー(性別役割)では分離しきれない部分があるだろう。
  • ジェンダーの仮面を脱いだところに自分というひとりの人間の意識の基本がある、と感じる人は正常であろう(このフィールドの広大さを思えば当然である)。
  • ジェンダーにも少なからぬ価値が含まれており、意識の中に占められるべき均衡点があると思われる。
  • ジェンダーの持つ歴史的または文化的な、とりわけ価値の部分を踏まえた視点がなければ、ジェンダーとの葛藤を抱える人がそれを乗り越えるのは難しいだろう。

自らについてより正常な感覚を持つと思われる人々が、ジェンダーについて悩むのは皮肉なことだ。

否、ヒトというものが元々「本能が壊れている」存在だからこそ、それは逆転でなく正転だということか。

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