その名は富士山ノート

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小学生の時に、I君という友達とつるんでいた。


風の強い日であっても駄菓子屋さんの外にある卓球場でよく遊んだ。
風下からネットぎわにドロップショットを打つと、背丈がミニサイズの彼は「親が憎い~」といつものセリフをいいながら腕を伸ばすが、いつも届かなかった。

微妙なお年頃の少年の興味の的、いわゆるいやらしい本なんかもI君に教えてもらったものだ。
あ、エロフォンじゃないよ!単なる奈良林祥だよー。
・・・うむ、たぶんそうだった。・・なつかしいなあ、KKベストセラーズとか。

そんなI君の最強ウェポンとは、なんと1冊のノートなのだった。

「富士山ノート」と名付けられたそれは、それはすごい代物だった。
中身はI君が自分で考えたさまざまなことが、ノートいっぱいにびっしり書かれているのだ。

特に覚えているのは、「超巨大迷路」ね。
幅2ミリの迷路が、見開きいっぱいに、時にはページをまたいで延々と続くものだ。
ほかにも、超すごいクイズとか、超すごい計画などが書かれていて、あまりの密度と熱量に内容を忘れたほどである(おい)。
本当に、興奮でおもわず鼻血が出そうなくらいのものだった。当時の私にとっては。

I君自身は、聡明でひょうひょうとした感じだけど、よく笑う少年でした。
友達だったけれど、その独創的なノートのせいか、ちょっと見上げる感じでしたね。

子供の頃ってさ、自分でなにかをアウトプットすることに気付くことってなかなかないじゃない?
日記とか、読書感想文なんかはあるけれど、そういうのはいやいやだったしなぁ。
・・むう、そうでもないか。・・でも受け身のままでそのまま育ってしまう人も一定数はいるだろう。

当時の私にとっては、「自分が心から楽しめるもの」を「みずから生み出す」ことに新鮮な驚きと感動があったんだと思う。今から思い起こしてみれば。
だからこそこのノートのこともI君のことも鮮烈に覚えているわけだし。

まあ、言わば「逆・デスノート」のようなものですね。・・うむ、うまくない。

自分自身は、特に強いアウトプット型の人間ではないと思う。
数年後、やっと日記をなんとか書き始めたくらいのもので。
それでもこうやってブログを立ち上げたことは、この「富士山ノート」から脈絡がつながっているのかもしれない。
こうして題材にしていることだし、うん、つながったんだね。
I君、元気にしていますか。

このブログが、記憶の中にある「富士山ノート」に伍していけるようになればいいなと切に願う。






なんと「富士山ノート」は後年、「エベレストノート」という名に進化したのだ。うはは、OK。

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