知る楽しさ

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知ることは楽しい。

知ることなんかどうでもいいという瞬間も多々あるが、まあ楽しい。
だが、その価値に見合うだけの喜びを十分に味わっているだろうか。いまさらそんな事を考えてみる。

知の過小評価に気付けるか

イメージのとっかかりとして。

例えば、宇多田ヒカルのファーストアルバムは700万枚売れた。
ベストセラー小説は200万部くらいなものだろうか。読書が好きで、習慣になっていて、何というか知ることを一定程度構造化しようとする志向を持つ人はどれくらいいるだろう。

自分が、知ることの喜びを過小評価しているのに気づいている人は?


部分的に当てはまる人はもっといるかもしれないが、うーん、100万人くらいかな。ならば世界全体では2千万人くらいか。
あくまでもイメージだが。




今まで発生した人類数百億人の中でこの視点に気づいた人は、上位1パーセントに確実に入るだろう。
歴史上の天才たちが達したレベルの数段上の知識の恩恵を、たとえ天才じゃなくてもそれに気づくだけで享受できるのた。

ただ気づくだけで、知を楽しめるキミの指数即ち知能指数は80(+3σ)以上なのだっ!

いよっ、果報者っ!


しかも数倍に延びた寿命のおかげで、ひとりの人間の意識の中で何十年も保持できるようになった。現代日本の、識字できる環境に生まれて、重ね重ね幸甚なのだ。


その幸運に鈍感になっていないか、自分。そうだよそうだよソースだよ。

知を組み立てる

さて大人になれば、学び方も自由自在だ。
この視点と自由を手に入れるために大人になった(誇張)。


さて課題は、知の構築の仕方である。ここからが問題だ。

専門知はもちろん必要だが、ひとりの人間の意識の中で理想的に組織化できる、俗にいう「リベラル・アーツ」のようなものは、どうやったら獲得できるか。

そのデザインは個性があっていいものだし、不断にアップデートしていくものでもあろう。
なにより、その過程が面白くて目的的であればよい。



ただ、秋が来たようだ。

いつもながら尻切れトンボ的に、余韻を持って終わろう(おい)。

まあ、一生モノの課題だからね。でゅふふっ。

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