3か月で40エントリを楽しく書くことができた。
フラッシュバックしてみよう。
- その頃(post-1)
- 印象的な部屋(post-2)
- 腕組み2題(post-3)
- その名は富士山ノート(post-4)
- 人間関係(post-6)
- 20歩(post-7)
- いいね!「いいね!光源氏くん」(post-12)
- ようこそニュートリノさん(post-14)
- テクニカルとテクニック(post-15)
- 只今セーブポイントなり(post-17)
- 冒険(post-18)
- 子供(post-20)
- ジェンダー(post-21)
- 大人と子供の違いゲーム(post-22)
- 強さ(post-23)
- サイは投げられた(post-25)
- 大事なことって何だ(post-26)
- 知識の多さにくらべて、考え方の数の少なさについて(post-28)
- 『ジェリーフィッシュは凍らない』を読む(post-29)
- しっぺとしっぺ返しは滅びるか?(post-30)
- 『ペパーミント・ブルー』を憶える(post-32)
- 投資スターター3点詰め合わせ(post-33)
- 「右に出る者がいない」(post-34)
- 俗語をチョー考える(post-35)
- 情けは人の為ならず(post-36)
- 不機嫌は罪(post-37)
- かつカレー(post-38)
- 「なぜ勉強をするのか」にマジレスすると(post-39)
- 自律(post-40)
- カテゴリ「ブログ」(post-10,11,19,27)
- カテゴリ「ブログを書く」(post-5,8,9,13,16,24,31)
その頃(post-1)
学生の頃「まだ世界を知ってはいない」と感じたことを言葉にした。
今はあきらかにその季節とは違う場所にいる、と感じている。
今の立ち位置は「今が本番で、今が最高で、今が目的」だ。
印象的な部屋(post-2)
渾身のおすまし顔で書いた一品w。
引用文の、矢吹駆の異国の部屋は冷え冷えとしている。
枕の下に拳銃まで隠してある光景はきびしすぎるが、それが小説でも大説でもない別の世界を想像させる。
腕組み2題(post-3)
なかなかうまくまとまったなと思った。
こういう記憶は本人にとってだけはプライスレスな思い出であって、他人に読ませるには文章力が必要かもしれない。
ところで、映像にくらべて、言葉まで記憶していることはあまりない。
音声を思い出すには、耳を澄まさなければならない。
その名は富士山ノート(post-4)
もうね、すばらしいセンスと人間性のきらめきに魅了されたんですよね。
それを一介の小学生が食らったんだから、わくわくするのも仕方がないのだ。
人間関係(post-6)
1行大喜利とでも呼ぼうか。
書き始めるときはいくつかしか思いついていない。
なぜかおしまいまで止まらずに書けてしまった。
20歩(post-7)
どこかにも書いたが、誰かの意思が見えたら、そこにはその人の心の動きが確かに存在する。
なぜかそのことに感動するのだ。
いいね!「いいね!光源氏くん」(post-12)
今度のよるドラ。
池田エライザって、こんなにかわいかったっけ?
エライザ、えらいぞ!
イライザ、いじわるだぞ!
ようこそニュートリノさん(post-14)
いわゆるスーパーショートショートだが、だれでも一度はやってみたいやつだ。
これは、勢いと、いちびり心と、書ける予感で突っ走るしかない。
スーパーカミオカンデって、なんかいいよね。
テクニカルとテクニック(post-15)
直接の関係はないが、「バリュー投資入門」というなかなか歯ごたえのある本について、某掲示板で発言したことを思い出した。
只今セーブポイントなり(post-17)
アメリカによるマニュフェスト・ディスティニーは、日本での大成功の後は、ベトナム、アフガン、イラク、シリアと、どこまでも混迷を深めるに至った。
先の戦争はともかく直近のそれらは、現実の地続きの地に起きている、まぎれもないコンテンポラリーな出来事なのだ。
冒険(post-18)
知っている方は描写からお分かりかと思うが、あの有名シリーズのオンラインゲームである。
なにしろ、数千人もの人間が同時にひとつの世界で冒険するんですぜ、お客さん!
今ではもう一般的な技術になったかもしれないが、このときの興奮は鮮明だ。
画面で一緒に冒険しているキャラクターは、リアルタイムで実在する本物の人だ。
このすごさは一度は体験してみるべきだが、一定の頻度で廃人が出るのもむべなるかなである。
子供(post-20)
子供の頃っていつも不安だった。
小学校に入ったときは、6年生はいったいどれだけ難しい勉強をするのかと怖かった。
英語を習い始めると、その得体のしれなさが怖かった。
高校に入れば、来年のことすらイメージできなくていつも不安だった。
総じて、未来とは何なのか、まったくわからなかったのだ。
ん、ん、自分だけなのかな?
それがいつからか、人生に高をくくってしまうんだな。
それは必要なことでもあるんだけど。
ジェンダー(post-21)
ヒトの意識ってさ、いわゆる「動物脳」と「人間脳」のミクスチャーで、これが共存しているのはなかなか奇跡的なことなんじゃないかと思う。
だからいろいろ齟齬もあるし、運用するのはむずかしいこともあるよねえ。
大人と子供の違いゲーム(post-22)
これは楽しい企画。
まだまだ追加できる仕組みになってます。
思いついたらどんどん伸ばしていきますよ。
強さ(post-23)
経験することと考えること。
このふたつは対比されがちだけど、そもそも後者は前者の上位概念じゃないですかね。
ただ強度の作り方が分かりにくいだけでね。
サイは投げられた(post-25)
今読み返してみると、まーおとなしい文章だと思うが、書いたときは「こんなの載せていいのかな?」と少しビビっていた。
意外とショーシンモノ君なのである。やさしくしてね。
大事なことって何だ(post-26)
何かいまひとつすっきりしていない人に、何か簡明なことが言えるだろうか。
そういう感じで書くことがあるが、実は自分自身に向けて言い聞かせているんだよなあ。
なー。
知識の多さにくらべて、考え方の数の少なさについて(post-28)
「知識」の「一段階上」にある「考え方」について、もっとていねいに整理したり吟味したり眺めたりしてみたいと思っている。
それを思い出しただけで顔がニヤケてしまう。アホである。
『ジェリーフィッシュは凍らない』を読む(post-29)
本を読んだ感想は書きにくい。ましてやミステリーとなるとなおさらだ。
(おっ、『九マイルは遠すぎる』っぽくなった。)
『そして誰もいなくなった』を読み、
『十角館の殺人』を読み、
そして〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇を〇〇〇、〇〇な〇〇を〇〇かもしれない。
これを誰かと話す機会が来るのだろうか。
それにしても、いちびりが過ぎる。次の書評はどうやって書こうか。
しっぺとしっぺ返しは滅びるか?(post-30)
「みんなの無形へそくり」 社会的資本は、地政学的な条件やら歴史の成り行きでその豊かさの量が決まるだろう。
その量によってゲームの様相が変わるというのは当たり前だけれども正直ミもフタもない感もある。
ひいき目かもしれないが、日本は恵まれたそれを保持してきた。
だけれどもこれからはどうなるだろうか。
『ペパーミント・ブルー』を憶える(post-32)
「MELODIES」の初っ端『悲しみのJODY』で衝撃を受ける。
少し戻ってシュガーベイブの「SONGS」へ行く。
そこからなぜかナイアガラへは行かずに、佐野元春の名盤「VISITORS」へ飛んでしまうのだ。
投資スターター3点詰め合わせ(post-33)
一見、ざっくりしていて、人を突き放したようなエントリ。
しかしこれが壮大な前振りだったりしてね。
「右に出る者がいない」(post-34)
1行大喜利 の第2弾。
東京オリンピック、サッカー予選グループリーグで、やたらと酒井宏樹がオーバーラップしていたのでひらめいた。
俗語をチョー考える(post-35)
ビジネス俗語というのもある。
「とんでもございません」というものだが、なかなか治らないw。
ノリと愛嬌でおもわず乗り切ろうとしてしまう。
こんなことではイカンのである。ジュマ・イカンガーなのである。
情けは人の為ならず(post-36)
利他は結局、利己。
考えてみれば、これはどこに向かって発しているのだろう。
どうして利他は無私でなければならないのだろう。
モノポリーのように、それを交換できた者たちだけが、Win-Win で豊かなうるおいを享受する。
それでいいではないか、そこに不思議はない、とみなす人でもやはりこう言うだろう。
「名乗るほどの者じゃあ、ござんせん」と。
不機嫌は罪(post-37)
不機嫌は本当に嫌いだ。
そこにどうしてもマウンティングあるいは自己のポジション取りの匂いを感じてしまう。
がしかし、ここは上機嫌の値打ちの方だけに眼を向けていたい。
人とは安らぎ合っていたい、そちらにひかれてしまうのは、自分が弱くなったからなのかな。
かつカレー(post-38)
最後の決め台詞は、森博嗣の小説のパラフレーズである。たしかそう。
昔の自分と今の自分に一貫性はあるだろうか。それが疑わしく思える時ってあるよね。
思い出がある、ということは、かろうじてそれにあらがう、頼りない竹やりのようなものかもね。
「なぜ勉強をするのか」にマジレスすると(post-39)
これは某掲示板でのやりとりが下敷きになっている。
ネット上ではあるが、かなりはっきりとした相手を思い浮かべているので、文章が書きやすかったかもしれない。
そう、伝えたいことをダーッと一気に出し切るのは、以前のエントリ「安心理論セブン」で書いた、渾身のビバガッツ2~300文字のイメージに近い。
ああそうだ、良い指標イメージに気付いた。ラッキーだ。
自律(post-40)
こんな文章を書くということは、自分は他者の言うことを気にしすぎるということの証左だろう。
このあたりの話題は、生きていくうえでわりかし基本的な課題だろう。
さらっと押さえておきたいが、定着させるには根気が必要かもね。
カテゴリ「ブログ」(post-10,11,19,27)
ブログ論のセオリー?に乗っ取って、ブログ自身のことを書く。
同時に、進行形の自己紹介になっている。
さあブログをはじめよう
ほらブログをはじめたよ
アイキャッチを自作したよ
うりゃ、ブログは続いているよ
カテゴリ「ブログを書く」(post-5,8,9,13,16,24,31)
開始初期のことでもあるし、短い時間でとらえ方が変化していくような気がしたので、内容がかぶってもいいから小刻みに書いてみた。
まだまだ書くで。
感興というクオリアのままに
くろがね安心理論
どこまで安心するのっ
盆栽を愛でるが如く
おもしろ予感びんびん物語
踊るアホウを責めないで
安心理論セブン
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