サイは投げられた

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時事ネタだが、あまりにも長い日常になってしまったし、書きたかったから書いてみよう。

みんなでワクチン

新型ウィルスワクチンの治験が縮小されるらしい。
人数の桁をひとつ下げ、対照実験もやめるそうだ。
基礎科学の教官なら目をむいて怒り出しそうなところである。

いままで長らく承認されることのなかった技術、緊急承認されたm-RNAワクチンの、

  • 各種の過剰な免疫反応や、PEG抗体の致命的な免疫反応を起こす危険性がある。
  • 臨床試験が短期すぎて、長期的な副作用が予測不可能。

といった点での不安までデマと言われるのは誤りだろう。

ワクチンを打つべきかどうか、いわしんには分からないが、医師や研究者の少なくとも何割かはこの技術に懐疑派がいるはずなのに、その声がメディアから聞こえてこない。
是非はともかく、意見の割合は適切であるのが健全なのにそうならないのは、何らかの圧力や同調の仕組みができあがっているのだろう。

そういう意味では、マスコミやステークホルダーがつくる構造こそ巨大なデマ装置であるかもしれない。
急性の症状についてのぎりぎりのエクスキューズをしながら、ワクチン接種を迫る仕掛けは、現代人を使った壮大な実験のようにも思えてくる。

まあ、ポジショントークを強いられる立場の苦しさはわからないでもないが。

それにしてもこのクソ暑い季節に打つ打たないの判断を迫られるのはうっとうしいことだ。

みんなでグローバル化

情報や物流や人の移動の急激な流動性の増加は、世界を効率化するとともに、固有文化の破壊、人類の存続の不安定化という種(タネ)をばらまくことになった。

そう、ウィルスというタネがばらまかれ、ワクチンというタネもばらまかれたのだ。

いったい誰か、チェックしているのだろうか。
それとも仕掛け人にももはや制御しきれていないのではないか。

サイは投げられた。

効用もしっかり見なければならない。しかし、サイはあまりに簡単に投げられなかったか。

(この記事は、文責の医学の知見の正確さを保証するものではなく、社会的な現象についての感想を述べたものです。)

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