このエントリは、以前わたしに本を借りに来たひとりの友人にあてて(想定して)起こした。 そのときは要望に応えて哲学の本を貸しただけだったが。
何もしなくてもただここにいるだけで幸せなら、それで良い。
何も強制はない。猫のように生きるようなものだ。
しかし、「何かをしたい」という気持ちは起こる。
もちろん、起きなくてはいけないということではない。起きることが自分の中に観察されるだけだ。
それだけさ。
考えてみれば、「生きたい」「何かをしたい」と思う原動力はどこから来るのか不思議だ。
もちろん、そう思うことは強制ではない。
それで、大事なことは何だろう。あるとき気付いたこと。
それは、意図すること。
そして、それをやること。
これだけなのではないかと思うのだ。
意図する ✕ やる = 何かが出る
静かに燃えるおき火のような情熱と、流れ続ける川の水のような継続心を持って続けること。
それだけさ。
意図する
何を意図するか。何をやろうとするのか。
これでその人の本質や趣が決まる。
決めるのにどれだけ時間がかかってもよい。何年かけてもよいと思うのだ。
それをやる
具体的に何をやるか、そのステップを考え、計画し、やる。
どんなに抽象的なことを考えていたとしても、実行は具体的だ。落とし込むことはできる。
これもどれだけ時間をかけてもよいのだ。
意図する✕やる
このふたつにとって必要になるのは、
- 世界について学ぶこと
- 自分の欲求について考えること
だろう。そのために学び、考える。
それだけさ。
(その友達とメシ食いながらじっくり話そうと思っていたら、クローズドなのに4人もおしかけられてしまった。くそっ、自分の人気者ぶりを甘くみていたっ。
まあこの記事でそのとき果たせなかった借りをすこし返させてもらったぜ。)
それだけさ。
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