「なぜ勉強をするのか」にマジレスすると

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みなさん、出番です!

『緊急取調室』

「なぜ人を殺してはいけないか」とならんで「なぜ勉強をするのか」というのがありがちだが、その回答めいたものを書いてみる。



これらのギモンが浮かぶような人は、かなりセンスがお気の毒なヤシだと認定しがちないわしんなのである。
さっさと勉強してほしいものだ。(←半分ジョークで9割ホンネ)(←黒いわしんだぁ、ウェッヘッヘッ。)

美点二点

ひとつめの観点。

例えば人と接するとき、適切な言葉遣いや態度、相手の状況をおしはかる視点などが必要。
社会に向かってなるべく自分が開かれている状況であるためには、そういう能力を持つことが重要。

「勉強や、勉強によって育まれる知見や世界の見方、自由に考える力」もそのようなもののひとつで、それは必須ではないけれども、あれば自分が社会に向かって開かれる自由度がそれだけ大きくなる。

これがひとつ。



もうひとつ。

学生の頃は勉強といえばやらなければならないもののように捉えられるイメージがあるが、大人になれば徐々に捉え方が変わってきて、やりたいもの、幸福になるためには不可欠でものすごく有効なものだと思えてくる。
だからまあ勉強しておいて損はない(どう生かすかは自分で考える必要はある)。

勉強じゃない、勉楽だ(落語家かっ)

より言いたいことは後者の方で、

勉強で得られる知見は、幸せになるヒントに満ちているし、健全な大人になればむしろ勉強がよろこびになるのが普通になる。

だから受験や学生のときに勉強するのもいいけれど、大人になってからもずっと学び続ける自分をつくることのほうがはるかに重要だ。
なにしろ大人の時間は延々と長く続いていくのだから。

大人になればどう学ぶかの自由度が増すから、もう滅茶苦茶に面白くなってくる。



また思うに、人生のもっとも大きな目的になりうるもののひとつに、

「自分が満足できる何らかのゲシュタルトを作り上げる」

というのがあろう。

それにはなかなかの周到な思考の錬成が必要になるが、その過程で何らかのインプットが必要だと思えるときがくる。
そこが勉強の出番になる。

人生というミステリーのこれぞ最高の手掛かりだ。
それに、これまで現存した人類の中で、今がもっとも恵まれた知識についての膨大な質量のプレゼントを受け取れるのだ。
プラトンやダ・ヴィンチ、ニュートンが知れば、泣いてうらやましがるところだ。

手段にも目的にもなるし、最高だぁ!(ToshI風に)

おあとがよろしいようで。(ホントか?)

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