『天才はあきらめた』
『天才はあきらめた』 山里良太
どうも。
「ブログ初級者がはじめる」から「おポンチブロガーがやらかす」にサブタイトルをメタモルフォーゼさせようか思案中のいわしんです。
中身はアツイ血潮で通常運転でっす。
ところで『天才はあきらめた』はなかなかのキャッチコピーだよねぇ。
自分を開放する
こんな風に考えが変わってきた。
何かを完璧にやる、やり続ける、というよりは、まず自分の知情意の、一番よく鳴るところを存分に鳴らそうと。
そしてそれをまず一身に味わおうと。
大谷翔平でなくてもよい。
近所の随一のフライ取りの名手だったあの頃みたいに、空高く打ち上がった白球を夢中で追いかけよう。
当代一の哲学の徒でなくてもよい。
学生の頃、ヤスパースを読みながら味わったあの眩暈を、忘れずに基準として持っておこう。
ブレハッチのように完璧に弾けなくてもよい。
絶好の編曲を選び、自分にできる最高の気持ち良い演奏を奏でよう。
自分の知情意の、一番よく鳴るところを存分に鳴らそう。
そしてそれを一身に味わい、感じよう。
完璧はあきらめた。
いや、あきらめてはいない。
整える力もまた自然に備わっているので、それに任せればよいのだ。
イメージの歌
「自分という楽器を鳴らす」
イメージであり、比喩でもある。
「自分という機械を運用する」これよりも明らかに楽しそうだよね。
気持ちよく過ごす。
思うさま羽根を広げる。
それを制御する術はおそらくもう備わっている。
外界の声は要らない。
手足を無茶苦茶に伸ばし、意識をどこへでも広げよう。
寂しくなったら、人の声に帰れば良い。音楽に帰れば良い。
なんだか宗教チック?
いいんだ。イメージの覚え書きなんだから。
認知(意識)の仕方自体に目を向けるのは、少し前に流行ったマインドフルネスにもちょっとカスッてるね。それはまた今度。
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