寂しさの奈辺

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ひとり上手と呼ばないで
ひとりが好きなわけじゃないのよ

『ひとり上手』 中島みゆき

あるツイートへのいわしんのリプライ。

街の灯りのひとつひとつにそれぞれ孤独の魂がいるよ。

それをありありと想像してみるんだ。自分だけじゃない、全員がそれぞれ孤独。

歴史を学び
芸術を味わい
あまねく本を読めば
それが分かる

孤独同志、皆同時に生きている。
イメージする。
なんかほっとする。

すこしでも伝わっただろうか。


・・・


なんにも難しいことはない。

ひとは自我を持ったときからずっと孤独。

寂しいと言っても
攻略すべき課題と言っても
限りない自由と言っても

どれも正しい。

どんなに満たされていてもそう。

80億人、みんなみんなみーんな孤独なんだから。

でも今この瞬間、同時に生きている。

寂しさには、ひとりでいることによる寂しさと、そもそも意識が独立していることに気付く寂しさとがあるように思う。置かれる環境の中でふたつは影響し合ったりないまぜになったりする。

妄想する。

ヒトがアフリカを出る頃、

砂漠の端っこの低木の陰で、
木の皮を断熱にした森の中で、
湿った暗い洞窟の出口で、

数家族のバンドで寄り添いながら虚空を見つめて朝日を待ち侘びたに違いない。

そこでは人肌を感じながら寄り添っても心細く、個人の意識という更なる絶対的孤独も未分化ながら感じていたに違いない。

・・

核家族化を通り越し、一人暮らしが増えた現代では、街の明かりが充満するといっても、冷静にその気になれば存分に孤独感は満喫できるだろう。

「自由にしたいが孤独はイヤだ」という肥大化した自我を持つ現代人でも、皆が皆ひとりで居ることに適応しきれはしないだろう。意識に登らずとも不健康を水面下に抱えてしまうかもしれない。

大脳以外では本来のヒトは「群れて生きる」ものだ。そう考えると寂しさは不適応ではなくて正常だということか。

そして

ひとりきりでいる寂しさと、寄り添っているのに感じる本源的な孤独感とは、どちらがより切ないか。

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