模式的に述べれば、強力。
知識の組み合わせの効果
ひとつの知識が2つになれば、組み合わせて3つの知識になる(AとBとAB)
3つになれば7通り(AとBとCとABとBCとCAとABC)。
4つになれば15通り。
5つになれば31通り。
6つになれば63通り。
7つになれば127通り。
8つになれば255通り。
知識が増えれば増えるほど、組み合わせの知識の相乗効果は大きくなっていく。
こういうのが得意なのはグーグル先生ですか?
実際には、知識の重みづけ(グラデーション)があり、知識同士の文脈なんかもあるが、総量の相乗効果はさらに膨大になるだろう。
この知識や知識のクラスターは、ひとつの命題として「考え」の表明になることもあるだろう。
(この場合、主張そのものが知識としてかぞえられるならば、それはなんらかの立場を背負っていることもあるね。)
知識の上位レイヤーとは
それで、その知識を要素として動かすものが「考え方」なのではなかろうか。
と、これを書いている今も、「考え方」とはどんなものなのかと考えている。
「考え方」も確かに知識の一種であり、かつ、メタ知識とでも呼べるものだろう。
知識の一段上にある構造とはいったい何だろうか。まだちょっと考え切れていない。
・・ほっほーい。Oh,Yeah!ひとまずはそういうことで。
要は
表題(記事タイトル)のことを考えてみる。
そもそも最初にタイトルのようなことを思いついたのだが、その中身は何か。
「考え方」というのは、=知識の扱い方のことで、つまりはメタ知識。
「考え方」の数が少ないと感じているのは、知識の取得だけにとどまっていて、そこからの組み立てを考えていない傾向があるということ。
知識も大事だが、なにかを考えるのに知識をどう使うかにもっと目を向けるのが大事。
大体、知識というのははっきり顔を持っていて覚えやすい。
一方、考え方というのは自覚的に把握・整理しなければ忘れ去られてしまいがちかもしれない。
それに、知らないうちに無自覚に「いつもの考え方のクセ」が自らのヒューリスティクスの中に組み込まれているが、これは検討されていない未踏の領域のように思えるのだ。
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